飛行機の中でずっと席に座っていると物思いが進む。
新幹線でも車の運転中でもそうなのだが、とりわけ乗客たちが眠る薄暗い機内は時間が止まったかのようで、
わたしの物思いは際限なくぐるぐると回ってゆく。
アメリカ移民法改正についてのセミナーを終えて、トウキョウへ変える今日のフライトでのテーマはこうだ、
「世界平和とビザの簡素化」
トウキョウでアメリカビザの仕事をしてもう十数年、
思いがけずすっかり長く続いているがある旅行会社へのコンサルティングの中で、
印象深い日本人としばらく前から仕事をする機会に恵まれた。
その日本人はアメリカビザ業務の経験が長く、今更基本的なことを
わたしが教えるまでもなかったのだが、実務的なことを離れてもっと広い視野、
世界を取り巻く時代環境の中での、現在のアメリカビザという観点から話ができる貴重なわたしの相談相手になってくれた。
当初はわたしの弁護士事務所と彼の会社としてのビジネス契約だったのだが、
それも彼のスキルからしてすぐ不要だということが分かり、わたしは彼の上司に話をして契約こそ継続しなかったのだが、
今ではわたしとその彼個人が純粋な「友達」として互いに就労ビザや留学ビザの情報交換をする間柄にある。
そんな彼、名前はケンといいシアトルに留学経験のあることから英語も堪能な紳士なのだが、
先週彼から届いたニューイヤーメールが強烈に印象に残った。
「Dear Mr. Maxwell, 明けましておめでとうございます。
昨年は有意義な情報交換をさせてもらって感謝しています。
変わってゆくアメリカビザを互いに今年も追ってゆこう。
願うのは世界平和とビザの簡素化さ。今年もよろしくお願いします。2003年元旦」
ケンのメールにはそう書かれていた。感謝しているのはこちらもだが、
わたしが心を打たれたのは「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」の言葉だ。
全く賛同するよ。ケンの肩を叩いて大声でそう呼びかけたい。
このビザの世界で仕事をしていて、9.11から始まった一連の
アメリカビザ制度変更の話はわたしに移民法弁護士という職業上の立場を越えて、
一人のアメリカ人として、いや、一人の人間として世界の動向を考えさせるものだった。
わたしが思うのはアメリカ西部開拓時代の原生林のことだ。
アメリカ東部に定住してきた我々ヨーロッパ人の先人たちは独立以後に新天地を求めて西へと向かって行った。
その開拓の過程で先人たちは原生する自然を野蛮として、
それを開拓して西洋文明の光を入れることこそが正統だとして原生林を伐採した。
森林が、アメリカバイソンが、リョコウバトが人に追われ、
豊かだったアメリカの原生林風景はこの四百年ですっかり貧しくなってしまった。
そんな歴史がわたしのアメリカにはある。
ビザの話とどう結びつくのかと言えば、その原生林を切り開くという行為が
当時の社会では善しとされた、人々の意識の中で当然とされていた、ということだ。
「当たり前」「仕方ない」と考えた先人たちのしたことは時代を経た今からすれば大きな過ちだった。
そういう過ちの連鎖を防ぐためのキーワードに、このケンの言葉は成りえるとわたしは思ったのだ。
テロリストからアメリカ人を、アメリカで住むあらゆる人々・生物・無生物を守る
という大義名分を掲げれば、なるほど、ビザの厳格化も仕方ないものと
誰もが思うことだろう。しかしそれは「アメリカを開拓することこそ善」とした19世紀初めの意識と共通するものがないかな。
ビザを厳格化したところで、本物のテロリストなら必ずその上をゆく。
さらに厳格化してもやはりさらにその上をゆかれるだけだろう。
先人たちは富を求めて西へと向かった。
アメリカは安全、もしくはその裏で同じように
石油の利権や国内経済成長という富を求めて次のステージへ向かおうとしている。
本当の世界平和のために解決をするのではなく、
既に富める大国・アメリカが自国の利益を最大限優先させようとする範疇での交渉が進められているのだ。
アメリカビザは世界を先駆するのだろうか。
いや逆に、他国の貧困を優先させたアメリカの行動の方こそが、世界の評価を獲得する意味あるものではないのだろうか。
数百年後、このアメリカビザのセキュリティ格上げという決断が
どう世界に受け止められているのか、それをわたしは遠い天国から見ていたい。
わたし個人の訴えがアメリカを、世界を変えられるとは思えない。
それでもやはり、このケンの言葉のように可能な限り伝えてゆくのもわたしの使命だと考える。
「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」
ケンとともにそう言葉を発して、今のアメリカビザに向き合いつつ人の心が闇に傾かないよう見守ってゆきたい。
ケン、君の言葉は至言だと思うな。
明かりが灯り、人が起き出す。わたしは回想から覚めて頭を上げた。
CAが朝食をサーブし始めた。トウキョウ到着はもうその先だ。
ナリタエアポートのイミグレーションで各国からの人々が並んでいる光景を目にする。
それは世界中どの空港でも変わらない。
今はそれなりに上手く流れているような気はするが、これがいつか不信に不信が対峙する、負の連鎖にならなければいいと思う。
わたしの番が来る。
リエントリーのページを開いてパスポートをオフィサーに渡す前、一言心の中で祈りを捧げた。
「願うのは世界平和とビザの簡素化さ」
ケン、やっぱり君の言葉は至言だと思うな。