令和を生きる現代人の私、ある時に奈良にある古道を走っていた。
桜井駅から奈良公園までの約30km、「山の辺の道」と呼ばれるウォーキングコース。
そこを朝から夕方までかけて一息にランニングしてしまおうという楽しい趣味。
何が魅力って、その1,300年前からの古道の周辺環境が穏やかなこと。
古い神社にお寺が幾つもあって、古墳や遺跡を横目に見ながらランニングができる。
大和三山や奈良盆地を見渡しつつ、道脇の田畑や山々の形に「おおらかさ」を感じて。
この旧街道は奈良時代よりもっと前に整備されていたとされるから、
仮に奈良の大仏を見ようとして東大寺へ歩いた先人がいたとして、私は同じルートを辿っていることになる。
途中の石上神社や大神神社は日本で最も古い神社の一つ、その大きさや格式には圧倒されるものがあった。
地方の農村で生活していた人たちにとっては驚きの文化だっただろう。
現代人の私にとっても思わず足を止めてカメラを向ける名所が数多くあった山の辺の道。
それでもね、夕方前には新薬師寺を経て奈良公園につくと街の大きさにびっくり。
おおらかな道が、人で賑わう町に。
一泊して翌朝に奈良東大寺の大仏殿へ行き、あの奈良の大仏様の前に立つと、
何度もお会いしている大仏様だけれど、
その大きさ、座高15m、仮にたったら27mという大きさの前に、何の理屈もなくただ圧倒された。
これか!
誰だろうと、何も理由なくびっくりしてしまう仕掛けが奈良の大仏の大きさ。
i-PhoneとAirPods、Apple製品とランニングしている令和の私にでもズバリと入ってきた驚き、
奈良の大仏の大きさは分かりやすいメッセージ。
これを奈良時代に目の前にしたら、驚きはどれほどだろうか?
山の辺の道の神社寺院だけでも驚くのに、10倍もある仏像(普通の仏像は当時の人の背の高さ150cmとして)を
前にしたら、そのありがたさに思わず見上げて口を開けっ放しにしてしまう。
そう考えると聖武天皇の狙いは、令和の現代まで有効なものになっている。
和風や和様が好きな私だからかな?
ふと周りを見ると、コロナ禍でもようやく復活した修学旅行生たちがいたが、
やはり彼女彼らだった、大仏殿の入口でいざ奈良の大仏様に対面した時は、見上げて圧倒されている。
思わず全員がスマホで写真を撮っているところを見ると、
このインパクトを無効化できる人間なんて存在しないのでは?と思わされるぐらい。
ねぇ、聖武天皇と奈良の大仏、あなたたちの狙いは的中ね!
見るだけで何も生み出さないようで、訪れる誰もの心の中に必ず何かを植えつけてしまうあなたたち、
それが「奈良の大仏の大きさ」ってことでしょう!